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(東国へ出発する部分の現代訳)

 この日、天皇は出発して東国にお入りになった。 急な事とて乗物もなく、徒歩でお出かけになったが、ほどなく県犬養連大伴の乗馬に出会ったので、これにお乗りになった。 皇后(菟野皇女)は、輿に載せてお従わせになった。津振川に着くころ、やっと天皇の乗馬が追いついたので、これにお乗りになった。 この時、天皇が最初から従った人々は、草壁皇子・忍壁皇子および舎人の 朴井連雄君・県犬養連大伴・佐伯連大目・大伴連友国・稚桜部臣五百瀬・書首根摩呂・書直智徳・山背直小林・山背部小田・安斗連智徳・調首淡海など二十人あまり、 それに女孺(側近の女官)十人あまりであった。その日のうちに、菟田の吾城(大宇陀町)に着いた。 大伴連馬来田と黄書造大伴とが、吉野宮から一行に追い付いた。この時、屯田司(天皇の供御米をつくる屯田の経営にあたる官司)の舎人、 土師連馬手が、天皇の従者たちの食事をたてまつった。甘羅村を過ぎると、二十人余りの猟師がおり、大伴朴本連大国がその首領であったので、 みな召し集めて一行に従わせた。また、美濃王を徴したところ、さっそくにやって来て一行に従った。 湯沐の米を運ぶ伊勢国の馬五十匹と菟田郡家の前で出会ったので、米をみな捨てさせ、徒歩の者をそれに乗せた。 大野に着くと日が暮れ、山が暗くて進めないので、村の垣根を壊し、それを燭とした。 真夜中頃、隠郡(なばりのこおり)に着き、隠駅家を焼いた。そして村の中に、「天皇が東国にお入りになる。 それゆえ、人夫として従うものはみんな出て来い」と呼ばわったが、一人も来ようとはしなかった。 横河にさしかかると、黒雲があり、広さ十余丈ほどで天をよぎっていた。 天皇はこれを不思議に思われ、ともし火をかかげてみずから式(筮竹)を手にとってお占いになり、 「天下が二つに分かれようとするしるしだ。しかし自分が最後には天下を得るであろう」と言われた。 そこで行軍を急いで伊賀郡に着き、伊賀駅家を焼いた。伊賀中山にさしかかるころ、 伊賀国の郡司達が、数百の軍兵をひきいて天皇に帰服した。

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吉野の盟約 (現代訳)

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