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菅 笠 日 記(現代語訳)

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 ことし明和の九年(1722)という年は、何というよい年であろうか。 「よき人の吉野よく見てよしし、吉野よく見よ、よき人よく見」とお詠みになった吉野の花を見ようと思い立った。 そもそも吉野山の花見の旅に出かけたいと思いながら二十年もたってしまった。 来る春ごとにさしつかえがあって、その思いは心の内に古びてしまっていたが、そうばかりしてはいられないと思い起こして、 出立しようということにした。(中略)

 この多武峯から流れ出る川もあるらしく、尋ねてみたいと思っているが今はいくことが出来ない。 吉野へはこの川から左に折れて別れて行く。長い山道を登って行くと峠があり、そこには茶屋があって大和の国中が見渡せる所である。

 なおも同じ様な山道を行くと又峠に出た。ここからは吉野の山々がわずかでありが見ることが出来、大変うれしく思った。 明け暮れ心にかかっていた吉野の花の雲をようやく見つけることが出来たのは、とてもうれしいことであった。

 さて、下って行く谷かげ、岩をかんで流れる川の景色は俗世間を離れてとても清らかだ。 多武峯から一里半という所にに瀧畑という山里があり、その名のとおり瀧のように川が流れ落ちるほとりにある村であった。 又一つ山を越えた谷間で飛鳥の岡から上市へ越えて行く道に出た。今日は吉野まで行き着きたいと思っていたが、 そうこうしているうちに春の日は早く暮れてしまったので、千股という山ふところの里に泊まることにした。

こよひは、ふる里に 通ふ夢路や たどらまし ちまたの里に 旅ねしつれば  

 この宿で龍門の瀧への道を尋ねると、宿の主人の言うには 「ここから上市へ直接行くと一里ですが、龍門の瀧の方へまわるとニ里あまりになります。 瀧に行けば一里あまりもあり、又そこから上市へは一里もあります」という。

 この瀧はかねてから見てみたいと思っていたので、今日多武峯から行きたい思っていたが、 道案内をしてくれた人がとても遠く、又道も険しいというので行くことが出来なかったのを、 今聞くと多武峯から行くよりも、さして遠いとは思えないのに、とても残念なことだ。

しかし吉野の花盛りが過ぎてしまうというようなことを聞くと心せかれて、明日瀧を行って見ようという人もない。 そもそもこの龍門という所は、伊勢から高見山を越えて吉野へも、紀伊国へも行ける道で、瀧は道から八丁ばかり入った所にあるという。 とても不思議な瀧で、日照りが続いたときに雨請いをすると、必ずその効き目があって、鰻が瀧を登るとやがて雨は降るという。

立よらでよそに聞きつつ過ぎるかな 心にかけし瀧の白糸

笈の小文における俳句

―三輪・多武峰・臍峠―

雲雀より空にやすらふ峠哉

(峠の風にあたりながら一休みしていると、はるか下の方から、雲雀のさえずる声が聞こえてくる)

―龍門―

龍門の花や上戸の土産にせん

(その名もかの中国の地の名勝に同じ、この龍門の瀧とそこに咲く美景を、
酒のみへの土産話としようか。こよなく瀧を愛したのも、かの地の酒仙李白であったから)

酒のみに語らんかゝる瀧の花

(酒仙李白の愛した中国の龍門の瀧とその名も同じ、吉野の龍門の瀧に咲く花のさまなどを、
酒好きの人々に語り聞かせてやろうよ)

―桜―

桜がりきどくや日々に五里六里

(毎日、桜を尋ねて五里六里と歩きまわる。さても、我ながら殊勝な事)

日は花に暮てさびしやあすならふ

(花見に賑わった一日もようやく暮れようとしているが、桜の花のあたりだけはまだ明るさが残っているのに、
傍らのあすなろはもう夕闇の中に沈もうとしている。
明日は明日はと思いつつ、ついに老木となりゆく、名もあわれに見栄えせぬ木の侘しさよ)

扇にて酒くむかげやちる桜

(花の木かげ、浮かれて能のまねごとをする人もある。扇で酒くむ所作ごとの、その上に花が散りしける様子)

―苔清水―

春雨のこしたにつたふ清水哉

(しとしとと降る春雨は、木々の下を伝い流れて、このとくとくの清水となって湧き出るのであろうか)

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