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蔵王堂

(蔵王堂)

 蔵王堂の正面、石の策に囲まれた中に、桜の木が四本植えられており、蔵王堂に向って右隅に、 「大塔宮御陣地」と刻まれた石柱が建っております。

 毎年春、美しい花を咲かせる四本桜は、その折に張り巡らせた陣幕の柱の跡だともいいます。 又、蔵王堂前庭の南側の階段を上った「村上義光公忠死之所」と刻まれた所に、かつて仁天門に駆けあがり、 腹を一文字にかき切り、壮絶な最期を遂げた所だと伝えています。大塔宮はこの隙に南院谷を抜け、高野山へ落ちのびますが、 途中勝手神社の右を折れ、1Km程下った所で敵に追いつかれ、今度は義光の息子である義隆が切腹し、大塔宮を落ち延びさせました。 この村上義光・義隆親子の自刃があって、大塔宮は絶体絶命の危機を逃れることになるのでした。

 後年、各務支考が「家書より軍書に悲し吉野山」と詠んだのは、 このような悲しいストーリーに対してかもしれません。

大塔宮吉野城陣人図/尾上守氏蔵

(大塔宮吉野城陣人図/尾上守氏蔵)

 元弘3年(1333)閏2月1日、北条幕府の二階堂道薀を総大将とする大軍に責められた大塔宮護良親王は、 ここを本陣として壮絶な戦いを繰り広げましたが、衆寡敵せず、落城に際して最期の酒宴をした所だと伝えられています。

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