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1997年 (つながり151号より)

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会場に集まった参加者

(会場に集まった参加者)

 今年は持統天皇にスポットを当て、彼女ゆかりの青根ケ峰―宮滝を歩いていただきました。 当日は晴天に恵まれ、青根ケ峰横の広場には、入り切れない参加者で溢れ、遠くは千葉からの参加者も含め500人近い人数になりました。 ここから出発した参加者は、途中金峯神社、水分神社を経由し参加者は、「万葉の道」を下っていきます。 前日の雨で道が滑りやすくなった道で、尻餅をついた人もいたようでした。

青根ヶ峰に向かう参加者

(青根ヶ峰に向う参加者)

 持統天皇は、青根ケ峰が望める宮滝に吉野宮を設け、31回もこの青根ケ峰は文字通り水分の峰であり、神の山として古代から崇められていました。 当時の天皇の一番の仕事が「祈雨祈止雨」であり、その職務遂行のため青根ケ峰を遥拝したのだと言われています。  そして青根ケ峰から流れる川は聖なる水が流れ、宮滝一帯は桃源郷の世界と信じられていました。  その桃源郷で初期のたくさんの万葉集が出来あがりました。

象の小川で朗誦する万葉歌人

(象の小川で朗唱する万葉歌人)

 正午過ぎに参加者は「桜木神社」に到着。そこで昼食をとりながら、青山先生の「吉野の万葉集について」を聞きました。 この前を流れる「象の小川」は、数々の歌人が万葉集を詠んでおり、 先生の講演終了後に大伴旅人・山部赤人・額田王・柿本人麻呂に扮した青年部員らが、象の小川の岩場に立ち、 千三百年の時を越え、彼等の声で自分の万葉集を朗唱しました。青年部員らの熱演は会場を多いに盛り上げ、 参加者は万葉の世界に酔いしれました。

激つ河内に浮かぶ船

(激つ河内にうかぶ船)

 そして参加者は出発し、柴橋から下の吉野川を眺めます。 そこには、万葉の船が浮かび男女の万葉歌人が佇んでいます。ここは万葉時代は激つ河内と呼ばれ、 都人が優雅に船遊びをした所でもあります。

みぞ蔵がギャラリーに

(みぞぐらがギャラリーに)

 そして、参加者は梅谷醤油さんの蔵に入ることになります。そこは「蔵ごとミュージアム」。 2階は岡本氏が描く「万葉の世界絵画展」・桝井氏製作による「吉野万葉土鈴展」。本迫氏による「吉野万葉写真集」。 そして、ポスターの原画展が繰り広げられるギャラリーに変身していました。そしてみそ蔵も開放されており、 社長自らみそづくりを参加者一人一人に説明いただきました。

万葉市場

(にぎわう万葉市場)

 次に参加者は前の駐車場へと進みます。そこは万葉商品が並ぶ「万葉市場」。婦人部による赤米のおにぎりの配布。珈琲館・地酒販売。 「吉野万葉絵葉書」の販売。又吉野町瓢箪教室の方々による「吉野万葉瓢箪」の販売。 木遊館による木工品の販売。又手仕事(指物・染色・織物)の販売が行われ、多くの人で賑わいました。 

持統天皇行幸の一場面

(持統天皇行幸の一場面)

 次に参加者は吉野歴史資料館に入館。そして歴史資料館横の国見の丘で、最後の青山茂先生の講演会が行われました。 講演の中で、吉野宮が何故この地に造営されたのか。又持統天皇が何故ここに31回も訪れたのかを、実にわかり易く楽しく解説していただきました。

 ここでも青山先生の講演が終わるのを合図に、千三百年の時を越え、持統の吉野行幸シーンが再現されました。 先頭と旗を持った兵隊を中荘支部が務め、輿を担ぐ兵隊8人を上市支部。女官をキャンペーンレディの中島さんと、吉野土木に勤める中川さん。

 吉野宮についた持統天皇一行

(吉野宮についた持統一行)

そして持統天皇には、キャンペーンレディの加藤さんが務めました。荘厳な雰囲気の中、上市支部が演じる大宮人の迎える吉野宮についた一行は、 参加者の前に並んだ時、会場から惜しみない拍手で迎えられました。

 8月に高岡市民1100人による万葉絵巻レビュー「万葉夢幻譚」を見て、吉野バージョンをやりたいという事業委員会の努力は ここに実を結んだのです。島副部長による時代絵巻のエンディング。そして松嶌副部長の閉会の辞で、第6回目は幕を閉じました。

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