このコースの楽しみ方

持統天皇による解説

持統天皇は在位中31回もこの吉野を訪れ、その行幸に随行したのが柿本人麻呂で、 彼は当時の宮の様子・風景を歌にしました。彼の伸びやかな吉野賛歌に触発されて、それ以降次々と宮滝周辺の秀歌が生れました。 持統天皇自身は吉野の歌を一句も残していませんが、吉野の万葉のきっかけづくりを行ったのは、 紛れもなく持統天皇であったと言えるのではないでしょうか。

 『万葉集』の中には、激つ河内象の中山夏実秋津野青根ヶ峰など数々の宮滝周辺の風景が詠まれています。 歌人にとっても、都から近くにある異境吉野(宮滝)は魅力的な場所であったことでしょう。 小さな飛鳥川しか見たことのなかった都人にとって、満々と水をたたえる吉野川は、いつみても飽きなかったのでしょう。 又紺碧で深淵な水と、絶壁の両岸に咲く赤い岩つつじも都人を魅了したことでしょう。それに、聖地青根ケ峰を源として清らかに流れる「象の小川」。 そしてその流れが吉野川に流れ落ちる「夢のわだ」には、桃源郷をも連想させたかもしれません。 いずれにしてもこの宮滝の景色は、都の万葉人を魅了してやまなかったことでしょう。

 現代はストレス時代で「癒し」とか「ヒーリング」という言葉がキーワードともなっていますが、 当時の都人も同じように「癒し」の為にこの吉野へやって来ていたのかもしれません。 都を遠く離れてしまった旅人が、吉野を思って詠ったのは、そんな所に理由があるのかもしれません。 日頃電磁波を受ける機会の多い都会の人が、吉野へ来てこう言いました。「吉野へ来るとスッとする。 吉野にはアースのような作用があり、ここに来ると体に溜まった電磁波が抜けて行くような気がする」と。 都会の近くにあるマインドリゾートの地「吉野」

それは万葉時代と少しも変わりありません。どうかこのコースを万葉人になりきって吉野を充分に味わいながら歩いて見て下さい。

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