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(柳の渡し)

 橋がかかるまでは、川幅が広く淀み流れる吉野川を渡るのは大変な事でした。 大和平野の方からやってきて、吉野山へ上がるにはどこかで吉野川を渡らなければなりません。 川を越えようとする人の安全をはかるために、初めて渡し場を設けたのは今から千年もの昔、山城醍醐寺の僧聖宝理源大師で、 大峯修行の行者の為に開いたと伝えられえます。北六田側、六田側ともに柳の木が植えられ、 現在も熊野の那智山を一番として始まる吉野への山岳修行の行程「大峯奥駆七十五靡」の七十五番の満行の地となっております。

 柳の渡しの由来は、この辺りは昔から川柳が生い茂っていたからで、その後に開かれた下流の「椿の渡し」上流の「桜の渡し」とともに、 「吉野川の三渡し」として知られている所です。大峯修験の行者たちは、まず吉野川の川原に下りて水垢離で身を清めてから、 新しい草履に履き替えて山路をたどりました。今の美吉野橋が架けられたのは大正八年で、それまでは夏の水量の多いときには舟渡しで、 冬になって水が少なくなる時には板橋がかけられて、多くの旅人が往来していました。 大和平野の方から、あるいは紀州街道から吉野山を訪れる旅人はここで吉野川を渡り心踊る花の吉野や前途厳しい大峯修行への第一歩を踏み出すことになるのです。

 

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