(ウォーク時の藤屋風景) |
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ここは志賀川の上流、志賀から3キロの山中に位置する林隙集落です。 『吉野町史』には「古くから奈良盆地と吉野渓谷を結ぶ重要な道筋で、 江戸時代には多武峰を経て大峰登山の人々や、吉野山を訪ねる遊覧客の中休みをする小宿屋として賑わっていた。 「藤屋」などの旅館があった。明治中期から交通機関の変遷と共に徒歩者が殆どなくなり、今は林業で生活している」と記されています。 このように当時はこの在所を行きかう人々は多く、駕籠でこの峠を越えた人もあったとも伝えられています。 本居宣長は『菅笠日記』の中で、 「多武峰から一里半という所に瀧畑という里があり、その名の通り瀧のように川が流れ落ちるほとりにある村であった。」と記しています。 その記述のように、ここから暫く歩くと、左手に瀧を見ることが出来ます。今では往来する人々もなく少し寂しい山里ですが、 このような歴史のあった集落であった事を心に浮かべながら、古道を歩くのも楽しいのではないでしょうか。 駕籠・旅館の看板・人々の声と瀧の音が織り成す雰囲気をイメージしながら暫し時をお過ごし下さい。 |