(浄宗寺) |
|
浄宗寺八世の了山(霊明)がまとめた由緒によると、先祖は(六孫王経基の子孫である)清崎氏とされ、 後醍醐天皇が南朝皇居に在りし時、臣下(八旗庄司)の一人として池田荘に住んでいました。 その後、後村上天皇より池田荘は皇居の北側にあるとして北村の姓をたまわり、 開基自身は「北村宗西」と名乗りました。宗西は、蓮如上人がこの上市に巡錫されたとき、その話に感銘を受け草庵に上人を迎えたということです。 その後、直弟となり「了西」と法名を名乗るようになりました。 もとの草庵は今の本善寺のあった所で、この浄宗寺の建立は明応4年(1495)と伝えられています。 |