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吉水神社の境内

(吉水神社の境内)

 大塔宮の父後醍醐天皇は、延元元年(1336)12月28日、吉水院の住職であり金峰山寺の執行でもあった宗信法印らに迎えられて、 ひとまずここを皇居と定めました。

 京都に対抗するには旗色の悪い後醍醐天皇を吉野山に迎えるに際しては、山内大衆の中では賛否両論、さまざまな意見の対立もありました。 しかし、宗信法印は蔵王堂に大衆を集めて天皇に味方することを説き、 衆議一決して、若い大衆三百人が甲冑に身を固めて迎えに出たと伝えられています。

大塔の宮の陣羽織

(大塔宮の陣羽織)

 ここには、大塔宮護良親王御所用の「御茶代」や「陣羽織」も展示されています。

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