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1998年 (つながり163号より)

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開会式の様子

(開会式の様子)

 去る11月15日、今回で7回目を迎える吉野歴史ウォークが開催されました。 今回は「大塔宮護良親王の道」と題して、父後醍醐天皇の悲願を達成する為、千早の楠木正成らと呼応して吉野城を築き、 北条幕府の大軍に対して堂々と戦いを挑んだ護良親王ゆかりの地を歩いてもらいました。

21世紀吉野デザイン会議による丹治城

(21世紀吉野デザイン会議による丹治城)

 当日は晩秋には珍しく暖かい陽気で、多くの方が集合地点に集合しました。今回は、ここまでくるのに実にいろいろな事がありました。 台風の被害の為、当初のコースの変更を余儀なくされました。又前日に集合場所を変更する等、今までになく多難な準備作業がありましたが、 会場では今回歩けなかった「丹治城」は21世紀吉野デザイン会議のメンバーが縦2.7m横5.4mの巨大な壁画で再現してくれました。 一行は今回協力頂いた地元丹治区の久保総区長の挨拶の後、雑兵と僧兵に扮した西本君・峠君(中龍門支部)を先達としてスタートしました。 

(つつじが城の先)

(つつじが城の先)

 如意輪寺を経由して、参加者は一路「つつじが城」を目指しました。 つつじが城の門には、中井君・山田君(龍門支部)扮する雑兵が参加者を出迎えました。 この城は、吉野城の詰城であった所で、西は金剛葛城の連山・北は龍門山塊・西は県境の高見山まで見渡せる景色は絶景です。 赤旗・白旗がたなびく「つつじが城」の中で、参加者は弁当を広げた後、田中敏雄先生のこの城の落城の講演を聞いた後、再び歩き始めました。

 後半の最初のポイントは「大塔宮行徳碑」。ここでは、武士に扮する係員が出迎えます。 ここは火の見櫓のあった所で、北条の同行をつぶさに報告していた所です。

 次のポイントは「吉水神社」。ここでは僧に扮する係員が参加者を出迎えます。 ここでは大塔宮ゆかりの「陣羽織」「茶台」を展示してあります。そして参加者はゴールの「蔵王堂」に到着。

 蔵王堂では、婦人部による桜の葉茶のサービスと、土産物コーナー そして、本日のイベント結果がその日に読める歴史ウォーク新聞のテントが用意。 そして午後2時30分、本日最後の講演が始まりました。ここ蔵王堂は、大塔宮吉野城の本陣のあった所。 そしてその前にある四本桜は、大塔宮が落城に際して最期の酒宴を繰り広げ、その折に張り巡らした陣幕の跡です。 田中先生の太平記に描かれた「吉野城軍事」を中心とした講演の途中、 青年部扮する15人が粛々としたBGMとナレーションに合わせて四本桜内に入ってきます。

宗信法師と三河坊

(宗信法師と三河坊)

最期の酒宴のパフォーマンス

(最期の酒宴のパフォーマンス)

 蔵王堂全体が、665年前にタイムスリップしたかのように大塔宮(南君・上市支部)を中心とした「最期の酒宴」が始まりました。 二人の女に注がれた酒を飲んでいる最中、木寺相模(川上君・上市支部)が今生の別れに舞を舞い始めます。 そんな宴席の中に、忠臣村上義光(大西君・上市支部)が血相を変え酒宴になだれ込みます。 そして、この後宮の身代わりになる事を予感させ、パフォーマンスは終了しました。 所要時間僅か10分余りでしたが、終了後参加者の拍手は鳴り止まず、暫く参加者はその余韻に浸っていました。

昌宏庵鶴祐氏の琵琶ライブ

(昌宏庵鶴祐氏の琵琶ライブ)

 そしてイベントの最後を飾ったのが、蔵王堂での琵琶ライブ。 演奏者は、大塔宮が眠る鎌倉から駆けつけてくれた昌宏庵鶴祐氏。 太平記から題材を得た本邦初公開の「吉野城落城」を演奏してくれました。 参加者は大塔宮護良親王と村上義光の悲しい物語を幽玄の世界に浸りながら時をすごし、ウォークは幕を閉じました。

キャスト全員集合

(キャスト全員集合)

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