(高城山風景) |
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『吉野山独案内』には、「牛頭天皇のほこら左に大塔宮こもらせ給ひし城あり、ここを高城とも、またつつじケ岡ともいふ」とあり、 ここは大塔宮吉野城の詰城のあった所とされています。 自然の要害の地形を活かした吉野城に対して、二階堂軍は攻めあぐみ一進一退の攻防を繰り返しますが、 元吉野の執行だった岩菊丸が二階堂軍と通じて搦め手(裏手)からの間道を案内して、菜摘の方から攻め込みました。 今の奥千本宝塔院跡あたりから下に向かって攻撃をかけ、大塔宮が最も頼りにしていたこの城がまっさきに落ちたのでした。 ここの標高は702mで、東に三重県県境の高見山、北には龍門山塊、西に金剛葛城の連山が一望でき、 河内の楠木や伊勢の北畠が身近に感じられる所です。 |