(宮跡の吉野歴史資料館) |
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(吉野宮のジオラマ) |
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この宮滝は、縄文時代・弥生に及ぶ大規模な複合遺跡ある所であり、吉野宮・吉野離宮伝承地とされている所です。 『日本書紀』『続日本記』に記された吉野宮行幸は、応神天皇19年10月の行幸をはじめに、 雄略2回・斎明1回・天武2回・持統33回(在位中31回)・文武2回元正1回・聖武3回の計43回におよびます。 斎明天皇の2年、「吉野宮を作る」とあります。 |
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(壬申の乱の出陣のジオラマ) |
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又吉野は『万葉集』に詠われる場所で、特にこの宮滝には、万葉の著名歌人が数多く訪れており、名歌を歌い上げた場所でもあります。 天武天皇が、壬申の乱に勝って即位した8年目の679年5月5日、皇后(後の持統天皇)および草壁・大津・高市・川島・ 忍壁・志貴の六皇子を連れて、ここに行幸します。その目的は、神々に誓って天皇に忠誠をつくすことを盟約させる為でした。 将来彼等の異心や離反のあることを恐れ、集権国家の強力な天皇政権維持のための盟約は、正にここで行われたとされています。 |
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淑き人の よしとよく見て よしと言ひし この歌は、天武天皇が吉野のこと、吉野に住む人間を詠んだ歌とされています。 |