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清見原天皇と大友皇子と合戦の事(現代訳)

 今は昔の事、天智天皇の御子に大友皇子という人がいた。 太政大臣になって世の政治を行っていた。心の中では、天皇がなくなられたら、次の天皇には自分がなろうとお思いになっていた。 清見原の天皇はその時皇太子であられたが、この様子をお知りになっており、 「大友皇子は時の政治を行い、世間の評判も勢力もすばらしい。自分は皇太子であるから勢力もとうてい及ばない。 そのうちきっと殺されるだろう」と恐ろしく思われ、天皇が病気になられるとすぐに、「吉野山の奥に入って法師になってしまう」と言って、 お篭りになった。

 その時、大友皇子にある人が、「皇太子を吉野山に篭らせたのは、虎に羽をつけて野に放つものです。 同じ宮殿に留め置いてこそ、思いのままに出きるでしょう」と申したので、大友皇子はいかにもと思われ、 軍勢を揃えてお迎え申すようにして、殺し申そうとお謀りになった。この大友皇子の妻として皇太子の御娘がおいでになっていた。 妃は父が殺されようとなさる事をお悲しみになり、何とかしてこのことをお知らせしたいとお思いになったが、どうしようもなかった。 ついに思い悩まれて、鮒の包み焼きのあったその腹に小さく手紙を書いて、押し入れて差し上げられた。 皇太子はこれをご覧になり、そうでなくてさえ恐れておいでになったことなので、「やはりそうだったのか」と、 急いで下人の狩衣や袴を着けられ、藁沓をはいて、宮の人にも知られず、ただ一人山を越えて北の方においでになった。 そのうち山城国の田原という所へ、道も御存知でないので、五・六日もかかってやっとの思いでたどり着かれた。…

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