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 浄見原神社

(浄見原神社)

 大海人皇子は、吉野で8ケ月潜居の間、
大津の兵に追われて実に多くの所に潜んだとされています。
まず吉野町志賀にある金福寺。
ここでは現本堂横の穴蔵に隠れたと言われています。
次に吉野町喜佐谷にある桜木神社。
ここでは桜の木に隠れて危難を逃れたとされています。
そして吉野町窪垣内に入って白鳳山林泉寺。

 ここでは現在庚申堂のある所に60日間隠れていたと伝えられています。
そしてここ吉野町南国栖の浄見原神社では、
現社殿のある所に隠れていたと伝えられています。

 毎年旧正月十四日に、ここ浄見原神社では
舞翁・笛翁・鼓翁・歌翁が天皇を慰める儀式があります。
これは応神天皇が吉野宮にこられた時を起源としていますが
片腹渕や浄見原という名称が大海人皇子を連想させます。

 又この儀式は、国栖翁の正統たる翁筋の男子によって守られ脈々と続いています。
これも古代と現代が直結している国栖という土地の面白さです。

天皇渕

(天皇渕)

60日間皇子が隠れておられた際、
国栖の翁は栗の料理にウグイを奉ったという言い伝えも残ります。
又大海人皇子が半身のウグイを吉野川に放って戦運を占ったという伝承も、
能「国栖」の中で皇子の食した半身の鮎を国栖の翁が賜り、
それが吉野川で見事生きかえったことが吉兆としています。
又この付近を天皇渕や片腹渕とも呼ばれています。

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