(平尾の道標) |
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伊勢街道沿いに発展したのがここ平尾の在所です。又、吉野町最古の貞享5年の道標が残るように、ここは高見越え伊勢街道と多武峰・奈良盆地への街道の分岐点に位置したため、宿屋もたくさんあり栄えていました。 |
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(代官所近くの幸神神社) |
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又ここは江戸時代、過酷な年貢を徴収しようとする封建権力に対して、農民が一致団結して代官所を襲撃するという一揆「龍門騒動」のあった所でもあります。文政元年、中坊領内14ケ村の農民が当地の代官所を襲撃、出役浜島市太夫を殺害するという事件が起きました。一揆は一日で終りましたが、その直後から過酷な弾圧がはじまり、取調べられた者千人、死罪4人、二十四ケ国払い4人、牢死した者が4人という悲しい結末を迎えたのでした。 |