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(吉水神社にある役行者像)

 金峯山寺の塔頭寺院であった吉水院は、他の修験系寺院ともども、あわや取り壊しの危険にさらされました。 明治初年の神仏分離令に続く修験道廃止令は、吉水院を取り壊すように命じたのです。 これに驚き何とか存続をはかろうとして、吉水院の歴史的な重要性を訴えました。当時の資料を見ると 「吉水院は、後醍醐天皇が京都を脱出されて大和に入られ、皇居とすべき所を求められた折、当時の住職であった宗信法院が、 吉野全山の大衆を説得して天皇をここにお迎えした由緒深い寺である。徳川幕府を倒して明治天皇が新しい時代に君臨された事を照応している。 明治維新の趣意にも違背することにもなりかねない。そこで、後醍醐天皇・楠木正成・宗信法院の三人を三柱として、 吉水院を廃して吉水神社を創立し、新しい一歩を踏み出したい」などと述べています。

 これに対して当局もはじめの方針を改め、明治8年(1875)3月5日付けの指令書で、 「願出の議聞き届け、吉水院を吉水神社と改称すべき事」と許可し今の吉水神社となりました。

 

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